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地元の同窓会にいつも顔を出している中に、乳がんにかかった先輩が2人いて、よくお話をうかがっていたからでした。 翌日、個人病院ですぐ診察を受けました。

自覚症状はなかったので、私はそれほど深刻に考えていなかったのですが、数日後に出た検査結果で「がんの可能性が高い、十中八九そうだろう」といわれ、頭の中が真っ白になりました。 とはいえ、1999年9月当時、乳がんの先輩の1人は温存手術をして元気でしたし、もう1人も再発とはいえ、ごくふつうに生活されていたので、がんの中ではそれほど怖い種類ではないのかと思いました。
けれども、その年は、小・中・高と三人いる子供たちがみなそろって新1年生になり、なにかと慌ただしかったので、上2人の男の子はまだしも、手のかかるいちばん下の娘の面倒を自分見てやれないと思うと、本当にどうしてよいものか涙が止まらない状態でした。 免疫細胞療法は再発を防ぐ安心治療とききました。
でも、わかったからには早く手術しないと、どんどんひろがっていくようで、そのこともまた気がかりでした。 連絡があったのは3日後くらいでしたが、じつは連絡を待っているあいだに、私は個人病院で診察を受けた同じ週に、県立がんセンターにも足を運びました。
こちらは、午前中に検査し、午後にはもう結果が出ました。 私のがんは、大きさが2.3センチで、病期(ステージ)は2期。
やはりその場で「手術は避けられない」といわれました。 乳がんの先輩から紹介された個人病院は、設備もそろって先生の評判もよかったのですが、医者をしている友達などから、術後のこともふくめて、がんセンターで治療するのがよいとアドバイスされ、結局それに従いました。
手術といっても、2種類の選択肢がありました。 乳一房を温存するか、全部とりさるか。
私の場合は、MRI(核磁気共鳴映像法)の画像で見るかぎり、「そんなにひろがってもいないし、温存でいける」という話でした。 担当医は、「再発の割合はそんなに変わらない」とおっしゃったので、リスクが同じなら残したほうがよいと思い、「温存にしてください」と頼みました。
その日は、「選択の余地はまだあります。手術の日程が決まったら連絡します」といわれて帰路につきました。 ネットなどを使って、どちらの方法がいいかを熱心に調べていました。
主人は全部とったほうが安全だといい、私もそうしたほうがいいのかなと、考えが傾きつつありました。 入院してすぐ担当医に相談し、主人も交えて3人で話し合いました。
主人はあくまでも全部とったほうがいいという主張を崩しませんでしたが、担当医は、「とにかく自分で決めてください。とるにしても温存するにしても、自分で決めないとかならず後悔しますから」とおっしゃり、最終的には全部とることに決めました。 手術したのはその3日後の9月でした。

私のがんは、乳がんの中ではごくふつうに見られるタイプで、リンパ節をとって調べた結果でも、どこにも転移は見られませんでした。 手術は成功し、再発の心配も少ないといわれましたが、大丈夫という保証もないので、私としては多少不安が残りました。
そのころ、がんセンターでは新しい抗がん剤の臨床試験をおこなっており、乳がん手術後の副作用としては、ほかに船酔い状態の吐き気がつねにあり、点滴後の2日くらいはそのために寝込んでいました。 また、けっして多いほうではなかった白血球の数も、いちばんひどいときで2000まで落ち、途中で一度点滴を見合わせたこともあります。
そんな苦しみを味わいながら最後までやり遂げようと思ったのは、再発防止の効果を期待しました。 ただ、やはり再発が心配でしたので、CMFという抗がん剤の点滴治療を6回受けました。
抗がん剤の副作用がどんなものであるかは知っていましたが、私の場合、2回目まではなんともなかったので、このぶんなら大丈夫と安心していました。 ところが、3回目からは事態が一変し、お風呂に入るたびに髪の毛がバサバサ抜け落ち、もともとふつうの人に比べても多かったのが、むしろかなり少ない人の部類に入るくらいにまで減り、しかも細くなりました。
思っていたよりひどくて、これにはさすがにショックを覚えました。 抗がん剤の治療は通院しながら受けたのですが、外科外来のフロアにはベッドが敷き詰められるくらい並べられ、そこで他の患者さんたちも一緒に点滴を受けていました。
私の抗がん剤は黄色い点滴でしたが他の患者さんたちは、だいたいが真っ赤な点滴でした。 そちらのほうは、本当に副作用がひどいらしくて、見ているだけでもつらくなるほど、みなさん苦しんでおられました。

かつらをしている方も大勢おり、それに比べれば私の脱毛なんて、まだましなほうだと思われ抗がん剤の治療は的年の廻月W日から始まって翌年の4月9日に終了しました。 それが終わった段階で、私が積極的にとりいれたのは漢方薬でした。
抗がん剤の副作用ですっかり体が弱っていましたから、「免疫力を高めるために補助的に飲んではどうか」と主人の知り合いで、東京大学の医学部の医師がすすめてくれたのです。 実際、それを飲んでからは白血球の数値が上がり、自分の体に合っているような気がしました。
その漢方薬を紹介してくださった先生とお話しする機会があったとき、免疫細胞療法のことが話題にのぼりました。 「今後の医療の主流になっていくだろう」とおっしゃるので、父から聞いていた治療法のことではないかと思って尋ねると、「そう、それだよ、それだよ」と声を弾ませていたからですが、一方で、もう二度とやりたくないとも思っていました。
私の実家は東京の、Sクリニックと同じ区内にあります。 たまたまSクリニックに勤務されている方と私の父が顔見知りだった関係で、「免疫細胞療法」という治療法があることは、抗がん剤治療を受けているころから知らされていました。
しかし、当時はちょっとした民間療法くらいにしか思っていませんでしたし、主人も「そんなのより抗がん剤だ」という考えでしたから、試してみようという気はさらさらありませんでした。 そのSクリニックをはじめて訪れた2000年3月、私は、「なんて居心地のいいところだろう」とびっくりしました。
建物の外観は病院というよりおしゃれな洋館風で、お庭がたいへんきれいで、E川先生ご自身がまたその雰囲気にぴったりの方でした(私にはとてもお医者さんには見えませんでした)。 E川先生のお話はとてもわかりやすく、言葉も優しくていねいで、しかも治療を強引に押しつけてくるようなところがまったくありませんでした。
すでにがんの研究機関や一部の大学病院で臨床試験が始まっていることや、副作用のないことなどを話してくださいました。 「同じことをやるなら、Sクリニックでやってみたい」そういうと、ぜひそうしたほうがよいと先生も賛成してくださいました。
予約をとってから診療を受けるまでのあいだ、私は免疫細胞療法がどういう治療法であるのか、インターネットや本などでくわしく調べました。 いろいろな情報が載っていましたが、なかには、他人の血液(リンパ球)を使うような例も紹介されていました。

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